活動報告

咸臨丸子孫の会の活動や関連の催しについて報告します。
印は、会主催および会員対象の活動です。

2007年 ◎平成19年

12月9日
忘年会
東京・霞が関の東海大学学友会館にて、9月の蘭仏訪問の報告会を兼ねて開催。小杉事務局長が編集した写真をスクリーンにスライドショーで紹介した。会員29名、その他1名出席。
12月1日
西日本在住子孫集合
日頃顔をあわせることの少ない関西方面の子孫が、東京から小林会長を迎えて歓談した。大阪駅前の八かく庵にて。8名出席。
 
9月4日~11日
蘭仏訪問2007
咸臨丸建造から150年にあたるこの年、子孫の会ならではの8日間のツアーに26名が参加した。ハイライトは咸臨丸ゆかりの地をめぐるバス旅行、ハーグでの「咸臨丸シンポジウム」、パリ郊外のブリュネ家訪問だった。
オランダでは、ライデンのH.J.ムースハルト博士(19世紀日蘭関係史)が、恩師ブルッセー博士とともにライデン大学から助成費を得、さまざまなプログラムを用意してくれた。
バス旅行は、咸臨丸がたどったのとは逆コースで、まず日本に向けて出港した南西部のヘルフットスラウスへ。その後、咸臨丸が通った運河を横に見ながら開陽丸建造の地ドルトレヒトへ。由緒ある市庁舎の建物において、同市史料館の開陽丸関係史料の展示を見学し、昼食の招待にもあずかった。すぐ近くの幕末オランダ留学生の下宿(旧造幣所の建物)にも立ち寄ることができた。
バス旅行の最後はキンデルダイク。有名な風車群の観光もそこそこに、咸臨丸を建造したフォップ・スミット造船所のながれをくむIHCオランダ社の造船所へ。ヘルメット姿で構内を見学し、咸臨丸建造当時の船台の跡が残る一角に案内してもらった。また、キンデルダイクに着く前に、ムースハルトさんが探し出したフォップ・スミットの墓も訪れた。
ハーグの国立公文書館で開かれた「咸臨丸シンポジウム」は、ブルッセー教授「日本の開国前に紹介されたオランダ造船技術の試み」、ムースハルト博士「日本のための造船」、ディルクスワーガー博士「咸臨丸建造時の軍艦設計技術の実態」(代読)、レマース博士「ヘンドリック・ハウゲンスと日本」の4つの発表があり、活発な質疑応答がかわされた。そのほかにもライデンからボートでのエクスカーション、ライデンの歴史散歩など楽しく充実したオランダ滞在だった。
旅行5日目の夕刻、ハーグから高速鉄道タリスでパリ北駅に到着。翌日、函館戦争に参戦した陸軍士官ジュール・ブリュネの墓参りののち、4代目にあたるエリック・ブリュネさんをパリ郊外の家に訪ねた。「タイクンの刀」と伝えられる日本刀やブリュネのスケッチ帖など貴重な資料を拝見した。夜はポプラ会(在仏北海道人会)と会食し、翌日帰国の途についた。
IHCオランダ社の造船所構内にて。
咸臨丸建造時の船台の跡
ハーグでの咸臨丸シンポジウム
ライデンからボートで遠足
7月26日
納涼会(横浜)
前年と同じ横浜港遊覧レストラン船マリーンシャトルで、約2時間、ディナークルーズを楽しんだ。30余名出席。
 
5月12日・
13日
第9回咸臨丸フェスティバル(横須賀市浦賀)
横須賀市制100周年の記念行事で、日本丸・海王丸・大阪市帆船「あこがれ」の3隻の帆船が、住友重機械工業の旧浦賀工場東岸壁に集結した。いずれも浦賀工場で建造された帆船。12日には横須賀市沖を約2時間半の帆船パレードが行われた。
咸臨丸子孫の会会員15名は本部船である海上自衛隊特務艦「はしだて」に乗船する機会に恵まれ、黒船来航や咸臨丸を彷彿とさせる光景を目の当たりにした。
「あこがれ」には子孫の会から中黒長旗を模した3メートルの吹き流しが贈呈され、13日の船上のセイルドリルに30名が参加、先祖の苦労を偲んだ。
One Day ミュージアムの咸臨丸展示には、子孫の会が協力して「咸臨丸のその後」、「咸臨丸乗組員と横須賀造船所」、咸臨丸図面のパネルが追加展示された。その他の行事も含め、2日間で延べ63名の会員が参加した。
 
2月12日
第9回総会
東京・霞が関の東海大学学友会館にて開催。佐々木会長が前年末に退任し、小林賢吾幹事が第2代会長に就任した。事務局長に小杉伸一、その他幹事3名の役員体制となった。
定例の報告・連絡ののち、鳴海風さんによる「小野友五郎の生涯について」の講演があった。会員61名、その他11名出席。
 
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