咸臨丸子孫の会とは

咸臨丸子孫の会について

◆創設◆ 1994年(平成6年)11月、『咸臨丸海を渡る』を著した土居良三氏(長尾幸作の曾孫)の呼びかけで、「咸臨丸子孫の集い」として発足しました。その後、2000年の第3回総会から「咸臨丸子孫の会」として活動しています。
◆会員◆ 咸臨丸の乗組員の子孫を「正会員」とし、咸臨丸やその歴史に関心をもち、会の活動に賛同する人々を「特別会員」としています。
発足当時10数名だった会員数も、20年を経ておよそ200名に増加。正会員が約7割、特別会員が約3割をしめています(2015年2月現在)。
◆総会◆ 年1回開催しています。2003年の第5回総会以来、毎年2月に開かれています。
◆活動◆ 咸臨丸ゆかりの地の訪問、関連の催しへの参加・協力、講演会活動、関係資料の発掘・収集など活発に活動しています。またホームページによる情報発信も行っています。
◆毎年取り組んでいる催し
横須賀市の「咸臨丸フェスティバル」(毎年春ゴールデンウィーク直前の土曜日)や北海道木古内町(咸臨丸終焉の地)の「きこない咸臨丸まつり」(毎年8月)に参加・協力しています。
◆国内のゆかりの地の訪問
太平洋横断時の水夫の主な出身地である瀬戸内海塩飽諸島、咸臨丸が官軍に拿捕された静岡市清水や、戸田・韮山などをめぐる静岡旅行、大阪神戸歴史ツアー、幕末に咸臨丸が派遣された小笠原諸島父島の訪問など、各地の研修ツアーを実施しています。
◆海外のゆかりの地の訪問
独自の企画を立てて各地を訪れています。これまで2001年のオランダ訪問(キンデルダイクなど)、2005年のアメリカ訪問(ブルック大尉の子孫や、サンフランシスコのメーア・アイランド海軍工廠跡、咸臨丸水夫の墓など訪問)、2007年の蘭仏訪問(ハーグでの咸臨丸シンポジウム参加、ヘルフットスライス、ドルトレヒト、キンデルダイクなど訪問)、2010年のサンフランシスコでの咸臨丸入港150周年記念イベントへの参加などがあります。

活動について詳しくは「活動報告」をごらんください。

会則

◆ 咸臨丸子孫の会 会則(名称)
第1条 本会は、「咸臨丸子孫の会」と称する。
(目的)
第2条 本会は、会員相互の親睦を図ると共に、幕末軍艦咸臨丸の史実を明らかにして後世に正しく伝えていくことを目的とする。
(役員)
第3条 本会に次の役員を置く。
会 長:1名
幹 事:若干名
会計役:1名
監査役:1名
(幹事会)
第4条 会長及び幹事の全員をもって幹事会を構成する。
本会の運営は、幹事全員による合議と承認によって行う。
(役員の選任及び任期)
第5条 役員は、定時総会において会員の中からこれを選任する。
役員の任期は3年とする。ただし再任を妨げない。
(会員の構成及び資格)
第6条 本会は正会員と特別会員で構成する。
正会員は咸臨丸の乗組員の子孫とし、特別会員は咸臨丸及びその歴史に関心をもち、本会の活動に賛同、協力する人とする。
なお、それぞれの入会資格及び入会の承認等は、別途、幹事会で定める。
(定時総会)
第7条 本会は総会を最高の意思決定機関とし、毎年1回定時に開催する。
総会の議事は、出席会員の過半数の賛成によりこれを決する。
(経費負担)
第8条 本会の経費は、会費、寄付金、その他の収入をもって充てる。
(会計年度)
第9条 本会の会計年度は、毎年1月1日に始まり12月31日に終わる。
(規約改定)
第10条 本会則の改定は、総会で行う。
附則
本会則は、2013年2月2日から施行する。
咸臨丸難航図
咸臨丸難航図
鈴藤勇次郎原画、木村家所蔵、横浜開港資料館保管
原画は太平洋横断時に咸臨丸乗組士官だった鈴藤勇次郎が帰国後に描き、木村摂津守に贈ったもの。残念ながら原画の絹本は失われた。
咸臨丸の中黒長旗(咸臨丸難航図=部分)
咸臨丸の中黒長旗
(咸臨丸難航図=部分)
マスト先端に幕府の中黒長旗が翻る。咸臨丸子孫の会のマークはこの旗をデザインしたもの。
咸臨丸子孫の会のマーク
咸臨丸子孫の会のマーク